自然法算命学

冬至年始

冬至年始

自然法算命学は、干支といわれる気の暦における年の境目を、『冬至』(12月22日=山羊座の始まりの日)においています。

『気の分岐点こそ、新しい気の始まり』という視点で『冬至が新しい気の始まり』という判断に立っています。
天空間現象による気の分岐点を冬至とする理論が冬至年始の理論です。

立春は、地上において、目に見える形で陽気が動き出す始まりです。
現象のみで判断する年の始まりは、地時空間現象という理論に立つ年の始まりで、立春であります。

干支における天干は、地球の自然現象と離れたところにある。とするのが、算命学の基本的考え方です。
天空間現象(天干)は地時空間現象に依存しない、という視点に立つ時、天空間現象の始まりが冬至です。
そして、立春は、地時空間現象の始まりとなります。

天空間現象の分岐点、日照時間が最も短い冬至は、太陽が再生する日であり、太陽が再生する時が、新しい気の始まりです。

干支の暦のみによる運命学、運命予知をする時、冬至を年の境目において判断する時、正しい判断が出来ます。

この、天空間現象(天干)は『冬至』から動き出す、ということについて、生前の高尾宗家は、『原典算命学大系』で次ぎのように説かれています。

干支配分法の時空間五行

立体五行

干支配分論において「生年干を北方に配置しているのは、年の初め及び年の切り変わり時点を冬至に求めているわけで、年における宇宙空間の現象は、北方から始ると考えているわけであります。」
原典算命学大系 第2巻 p.39引用)

立春年始

後漢から始まった立春正月

夏王朝では立春頃が正月、商(いん)王朝では冬至を含む月の翌月が年初、周以降、古代から前漢まで冬至(12月22日ごろ)のある月が正月であったとされています。農耕民族なので太陽の復活する冬至は大切な日で、帝王(国王)は天壇に参り、天の星々に国家安寧を祈念したのであります。

この天壇宗廟社稷と並び、国家の重要な祭事の神聖な場所でした。

時が過ぎて、後漢の時代に入り、24節気の立春(2月4日頃)の月が正月、年初となりました。後漢から始まった立春正月は20世紀の中国の各王朝に受け継がれました。

1月の大寒は、【 地時空間現象 】で、自然界は最も寒い冬の季節で、地上において陰の気が最も強い時間帯です。

立春になると陽気が動き出し、自然界の植物が芽吹き始める季節となります。立春は、地上世界、地球上における【 地時空間現象 】の、目に見える形で陽気が動き出すところであります。目に見える現象を占う学問に、九星学があります。九星学は、象位の占い、現象を予測するのに適しています。そして、象位の占いをするとき、年の変わり目が立春となっています。ここに、干支の暦が、九星学の影響によって、年の変わり目が立春に移動されたのではないかと、私の私見ですが、そのように考えています。

九星学は、現象のみを当てることを主体とした占い、という意味において、現象を占う為、自然界の現象の動きに影響されていると言えます。ですから、地球において、目に見える形で陽気が動き出す『 立春 』(2月5日頃)が九星学の年の変わり目です。

 

冬至年始

これに対して冬至年始の算命学は、開運することを主体とした占いです。
人が生まれ、その時の宇宙から入ってきた天気と地気を分析し、それを、この地上世界で生かす方法を学ぶ学問、運命学、占いです。

算命学を象位(現象)としてのみで判断しようとすると、『立春』を境目として占い、当てることにこだわった占いになる可能性が生じます。

算命学を気の動きとして、見えない気を分析しようとすると、『冬至』から始まっている新しい気が内在し、内側で動き出しています。

古代において、年の変わり目は冬至であったとする説があり、冬至説を王暦、立春説を民暦とした暦が作られていました。(参照 王暦と民暦

自然法算命学王暦に基づく干支歴で占います。

王暦と民暦

古代の王様は自分が使う暦と国民が使う暦を分けて使っていたようであります。国民を統治するための暦と王様が使う暦は別々であったのです。

中国四書五経の一つ『春秋』の記述に次の文章があって、解釈されたものがあります。

「隹王○年」という書式と「唯?正二月初吉乙丑」という書式があって、王の暦と諸侯の暦があったということであります。

春秋公羊傳にも『隱公元年、春王正月』についての文章があります。

春秋公羊傳

公羊傳·隱公

隱公(經一·一)元年

元年春,王正月。

(傳)元年者何?君之始年也。春者何?歳之始也。王者孰謂?謂文王也。

元年とは何ぞや、君の始年なり。春とは何ぞや、歳の始なり。王とは孰れの謂か、文王を謂ふなり。

これは、元年は周の文王(このときの周建国の大功臣が太公望です。)をさします。春は歳の始めのことです。
周の文王が定めた歳の始め【冬至】を含む月を王の正月とする。と書かれているのです。

周王朝の正月は建子の月ですので、冬至を含む月であるということになります。

王にとっての春、歳の始めは周王朝の正月、冬至である。
ということであります。

王暦と民暦については、近世朝鮮暦の出現によって存在することが証明されています。

朝鮮の歴代王朝は中国の正朔を奉じ、中国の年号と暦法を使用した。毎年中国で制作され頒下された暦を、どのような手順で国内に頒下したのか、『大明会典』(1510)によって、ある程度のことは理解できる。

『大明会典』の巻233欽天監の条に「朝貢している国ごとに、王暦一本と民暦十本を給与する。ただし、朝鮮国には王暦一本と民暦百本とする」すなわち、朝鮮国には毎年国王用を一本と、諸官司等に配布する一般用の暦百本を給与したのである。

(※ 参考及び引用文献 アジアの暦 著者:岡田芳郎)

ここに、王暦と民暦が存在していたことが証明されています。

冬至説による干支歴の検証において、多くの鑑定を通して人の性格、運命現象を確認しています。

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