算命学の主役はあなた自身です。

年の変わり目

・・・『紫天法』・・・
算命学の物の考え方は、思想部門であれ技術部門であれ、ある種の仮説から出発していて、立証された仮説のみを真の理論として取り上げる。
(原典算命学大系 第2巻 P.94)

仮説を立て占技たて、現象として立証された場合、それを占技として取り込んでいく。というのが算命学『紫天法』思想です。

算命学発祥の古代中国『殷』の時代、年の変わり目は冬至でありました。
その原点に戻って、干支暦の年の変わり目は本来冬至です。

年の境目について

中国で干支の暦ができたとき、年の境目は冬至でした。後世、後漢の時代に、農耕民族である民を統治しやすいように、季節が暖かくなる立春を年の境目に変更してしまったところから、立春を新しい年の始まりとする干支暦が出来上がりました。

地球の気の動きは、日照時間の一番短い冬至が一陽来復で、新しい年の気が動きだすところです。
立春は視覚的世界で、年の境目となります。

算命学を本来、鬼谷子算命学といいますが、鬼谷子が存在した春秋戦国時代には、次の干支配列の日が存在しました。

日 月 年

甲 甲 甲
子 子 子

つまり、甲子の年、甲子の月、甲子の日は、(子の年は木星が黄道、子の方位にあり、子の月は12月を表します。)存在したのですが、中国の後漢の時代から、立春2月4日を年の境目として、変更した暦が作成されるようになったために、この甲子の年、甲子の月、甲子の日は今では存在しないのであります。

甲子の年、甲子の月、甲子の日というのは、最初に干支暦を作成する基準点として、その始まりを、黄帝建国の紀元前2679年、歳星(実際の天体である木星)が、黄道(太陽系の惑星が通る道)、子の方位の真ん中(射手座と山羊座の境目)に回った年で、太陽の日照時間が一番短い日(冬至)を、年の基準として中国の暦は作成され始まったと、中国の干支暦の世界では伝承されているのです。それが、子の年、子の月、子の日で、

時 日 月 年

甲 甲 甲 甲
子 子 子 子

となるのであります。しかし、いまでは、甲子の年の子月(12月)は、

時 日 月 年

甲 甲 丙 甲
子 子 子 子

と、なってしまうのであります。

自然法算命学では、”年の変わり目”を、冬至とし、新しい年の始まりとして星を出し鑑定します。

要するに、12月22日頃(年によっては23日)冬至から翌年2月3日節分までに生まれた人は、年の干支(かんし)が、翌年の干支に置き換えて鑑定いたします。

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