古代の月を見る技法は北極星を時計の中心にして北斗七星の柄杓(ひしゃく)の柄を時計の針に見たて、北極星を中心に天空を十二等分割して、柄の剣先が夕方どの方角を向いているかをその方位の十二支に当てはめて各月を決めました。これを月建(げっけん)といいます。冬至には北斗七星の柄杓の柄、剣先が真北、十二支の子の方位を指します。これを建(おざ)すといい、建子の月と名付けました。

古代の暦で建子といえば、冬至を含む子の月が年の始まりであったということであります。建丑は丑月が正月、建寅は寅月が正月であります。なお、これらはあくまで陰暦の暦であります。そして、周の年初は建子(冬至の月)の月、殷の年初は建丑(冬至の翌月)の月、夏の年初は建寅(立春の月)の月となっています。

古代の暦においては、その出発点を「朔旦冬至」においていました。これは、月が朔(さく:新月)の日で冬至と重なる日が19年に1回おとづれるということです。これを基準に暦が作られたのです。そして、ここが甲子の始まりで、「朔旦冬至」で甲子の日は特別な日として『甲子朔旦冬至』といい、文献にも残されています。

「中国の暦法では、暦元には十一月甲子朔旦冬至(陰暦11月1日甲子で冬至)となる年を当てる。夏正による十一月の第一日が甲子(六十干支のはじめ)であり、その日のはじめに朔および冬至の時刻が一致するというのが、十一月甲子朔旦冬至の意味である。こうした理想的な日が、太初元年の前十一月(この年は十一月が二回ある)の朔日に起こったことを確認し、これを暦元としたのである。」
(暦元としての太初暦>藪内清編『中国の科学』中央公論社)

これをプログラムで計算した人がいます。

殷暦、殷の湯王13年11月、新月で冬至と重なった日を【甲子朔旦冬至(きのえねさくたんとうじ)】としたとあります。これをもとに計算すると殷暦の元首はユリウス暦1568BC12月26日となるそうです。

この年が子の年であったかどうかを計算すると、今年は2005年酉の年です。2008年が子の年です。ここから逆算すると癸丑の年になりますが、プログラムが立春を年の境目にしていますので、冬至を年の基点とすると翌年の干支、甲寅の年になります。

もし、これが暦元とするなら、木星である歳星が寅の方位にあったということになります。これに、冬至を年初として太陽暦における月干支を当てはめますと

建寅月の年               冬至の   同左
ユリウス暦    元号     歳干支 日干支   太初暦
1567BC 殷湯王13年     甲寅  甲子

日 月 年
甲 甲 甲
子 子 寅

となります。
その後の甲子朔旦冬至についても記載されています。
暦元は殷暦同様,皆甲子日朔冬至で,年が違うだけです。ユリウス暦に直すと次のとおりとなるようです。

年とその干支       前年の甲子日朔冬至
黄帝 辛卯歳1350BC  12月27日
夏 丙寅歳1076BC  12月28日
周 丙巳歳1624BC  12月25日
魯 庚子歳1841BC  12月25日

となるそうです。