王暦と民暦

古代の中国において、国王は諸侯、国民に対して、いかにして国を統治し、天子として、天に代わって国を治める権限を与えられているか。ということを証明する必要が求められていました。

古代の国王は天子と呼ばれていました。天子の字義は、天に代わって政治を行うこと意味し、支配者は絶えず天の意思を知る必要がありました。

天の意思を知るために、天文学が政治にとって重要な関心ごとでありました。天の意思を知るために、天文現象のなかから天の理法を把握しようとして暦法が生まれました。

ですから、古代国家の天子にとって、暦法は、天に代わって天意をくみ取る術となる、国の重要な象徴でありました。

天意を知るために、地の十二方位の上に、天の十二方位を重ねて把握しようとする視点が生まれました。

天の十二方位は北極星を中心に、天を傘に見たてて、12本の傘の骨をドーム上に地上に下ろして、そのドームの外から見下ろす発想が生まれました。

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天子はそれまで見上げていただけの天を、天の上空から見下ろすようになり、地上に君臨するだけでなく、全天の秩序を高位より把握する存在となったのです。

天の方位配当では、冬至点は地上の丑に重ねられました。季節の方位配当では、冬至を含む月は十二支の子に配当されました。そして、春の初めの月が寅に配当されました。こうして、三つの方位が始まりの意味を与えられました。

冬至は太陽が最も低くなり、終わりにして始まりという意味が与えられ、春は自然界の陽の気が動き出す第二の始まりとなりました。

これと平行して暦日データが集積し、分析されました。そして、太陽と月の位置関係がもとにもどる周期が76年であると判明されたのです。

この周期によって、76年間の太陰太陽暦の配列パターンが整備されました。

このようにして出来あがった新しい暦は、計算によって未来永劫に及ぼされることとなり、天子は、時間と空間の秩序を未来永劫に把握する存在となったのであります。

天の十二方位を、北極星を中心に傘に見たててドーム上に配置するドームを、古代においては「天蓋」と名付けたようです。

天蓋という発想は、後々、神社、仏閣の寺院における祈祷壇の上につるされているものが、天蓋と呼ばれるものであります。ですから、祈祷壇において祈祷師は、天意をくみ取る手段として天蓋が存在するということになります。

天蓋

また、ドーム上の天蓋を極上から見下ろすという視点にたって、「天下」という言葉がここから生まれました。

天下を見下ろす天子は、天の中心、北極星を見下ろすため、天蓋の極上、南方より見下ろしていることになります。

天子にとって天は北極星であるため、北が天、南が地の方位となります。

このドーム上に把握された天地の理法は、算命学にも影響を与えており、算命学の立体五行説の成り立つ起源、原理であったろうと思われます。

一般に、方位学は南が上、北が下、東が左、西が右に配置されます。

 

これは、上が天、下が地という発想から見ると、地上に立った人が南方を向いて、地上の足下に東西南北の方位を書いて、天を見上げて、天意をくみ取る配置図であります。

これに対して算命学は、天が北、地が南、東が右、西が左に配置されます。

 

この配置図は、天子が全天の上空から地上を見下ろすときに生まれる配置図であります。

北を天として、天の先には北極星を見たてています。

算命学は天子のための運命学であったため、天から自分の宿命を見下ろし、客観的に自分の宿命を把握する思想の上に成り立っています。

算命学による宿命の星を、この思想によって配置すると、下図のようになります。

時空間五行図

算命学による運命鑑定、宿命把握の思想的背景には、天意をくみ取るという意思が隠されています。ですから、算命学には天盤、地盤、人盤という技法を使って、天命、地命、人命という占い方が存在します。

このようにして、ドーム上に把握された天地の理法を、極上から見下ろす視点に参与できるのは、王と君子と賢人のみでありました。その下には官僚がおり、さらにその下には、民、国民が存在しました。

このような思想によって、天子と民は、自然の理を別々に把握するようになっていったと思われます。

そして、天と地をたんてきに象徴する言葉が生まれました。それが、「呂氏春秋」のなかの季春紀に『円道』という題に表されています。それによりますと

天道は円なり、地道は方なり

という言葉で集約されています。全文の前半重要個所と和訳は以下のとおりです。

呂氏春秋

季春紀 円道

天道は円に、地道は方なり。

聖王之に法り、以って上下を立つ。

何を以って天道の円きを説くや。

精気は一上一下し、円周複雑して、繋留(けいりゅう)するところなし。

故に天道円なりという。

何を以って地道方なるを説くや。

万物は殊類殊形なるも、皆分職ありて、相い為(な)すこと能わず。

故に地道は方なりという。

主は円を執り、臣は方に処る。

方円易(かわ)らざれば、その国すなわち昌(さか)える。

【和訳】

天のはたらきは円、地のはたらきは方、四角である。

聖人はこれを手本として、上下の秩序を立てた。

どうして天のはたらきは円だといえるのか。

陰陽の気は上がったり下がったり、時に往来循環して、留(とど)まることがない。

だから天のはたらきは円というのである。

どうして地のはたらきは方、四角だといえるのか。

万物はすべて種類も異なり形も違うが、それぞれに職分をもっていて、他物に干与(かんよ)することができない。

だから地のはたらきは方だというのである。

君主は天のはたらきに合わせ、臣下は地のはたらきに合わせて行動し、君臣のはたらきが入り乱れることがなければ、その国は隆盛する。

 

ここにも、天下を見下ろす発想と、天上を見上げる発想が隠れているように思われます。

天下として、天の極上より見下ろすとき、ドーム上の天は円となり、気の盛衰のみが重要であります。

これに対して、天上を見上げるときは、万物の職分、質が問題であります。そして、方位学は方となって、四角の盤で占います。

天道の円は、気が往来循環しているので、その基点をあえて求めると、北極星の方位で日照時間が一番短い、陰の極、子の方位のみを取ることができます。子の方位の延長線上には北極星があり、天の中心にあって、天意の中心という背景があります。ですから、算命学には、子の方位、北方を玄武とよび、原初の気が動き出すところ。という意味があります。

このように、王暦は冬至を年の始まりとし、民暦は立春を始まりとする暦ができあがっていった、と思われるのであります。

(※ 王暦と民暦の参考資料:大修館書店 岡田芳郎著『アジアの暦』の資料より)

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参考文献
  • 講談社学術文庫 町田三郎著 『呂氏春秋』
  • 株式会社菜根出版 高尾義政著『原典算命学大系』
  • 中央公論社 尾形勇 平勢隆郎著『中華文明の誕生』
  • 大修館書店 岡田芳郎著『アジアの暦』
  • 中央公論社 藪内清編『中国の科学』

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